日本相撲協会

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過去の展示

大阪と相撲

展示期間 平成31年(2019)2月19日(火)~4月19日(金)

 大相撲三月場所は大阪に春を告げる風物詩としてよく知られています。現在のような3月の本場所が開始されたのは昭和28年(1953)ですが、大阪と相撲には長い歴史があることをご存じでしょうか。江戸時代から昭和2年(1927)に東京相撲と合併するまでは大阪相撲という集団があり、関西を中心に大変な人気でした。そして歴代横綱に数えられていない独自の「横綱」も活躍しています。
 今回は大阪相撲や戦後の三月場所の様子、大阪出身の力士を、錦絵や番付、化粧廻しを中心にご紹介いたします。3月10日からの大相撲三月場所とともにお楽しみ下さい。

古今相撲大全 巻之下本
1 古今相撲大全 巻之下本
 大阪相撲とは、文字通り大阪に本拠地をおいた相撲集団のことで、江戸時代から昭和2年(1927)に東京相撲と合併するまで存続した。木村政勝による宝暦13年(1763)の『古今相撲大全』には、江戸時代中期における大阪相撲興行風景が描かれている。
大阪相撲番付
2 大阪相撲番付
安永5年(1776)5月
 大阪相撲では、明治元年(1868)まで東方と西方を別の紙に摺った横二枚形式の番付を発行した。江戸(東京)相撲の縦一枚形式とは対照的だが、横二枚形式の番付は大阪相撲の大きな特徴である。
大阪相撲番付版木使用の火鉢
3 大阪相撲番付版木使用の火鉢
 大阪相撲の明治6年(1873)7月場所の番付版木で作成した火鉢。東方と西方を2枚ずつ使用されており、少なくとも2枚の版木で番付を摺っていたことがうかがえる。明治2年(1869)から大阪相撲も縦一枚形式の番付を採用したが、この頃は横二枚形式から縦一枚形式への過渡期であった。
八陣調五郎 横綱土俵入りの図
4 八陣調五郎
横綱土俵入りの図
 広隆画、明治30年(1897)頃。大阪相撲では、現在72代を数える歴代横綱以外の「横綱」が土俵入りを行っている。明治中期の八陣調五郎(1865~1924)もそのひとり。兵庫県西宮市出身の八陣は、大阪相撲から東京相撲に加入、幕内まで進んでから大阪に戻り、明治30年(1897)、教派神道のひとつである神理教から横綱免許を受けた。横綱在位5年で、大阪相撲の第一人者として活躍した。
46代横綱・朝潮太郎使用の化粧廻し三つ揃い
5 46代横綱・朝潮太郎使用の化粧廻し三つ揃い
 現在のように毎年3月に大阪で本場所が開催されるようになったのは、昭和28年(1953)のことである。46代横綱・朝潮太郎(1929~1988)は、昭和31年(1956)3月、関脇で初優勝。その後、3年連続大阪で優勝を果たし、「大阪太郎」の異名をとった。昭和34年(1959)3月場所後、横綱に推挙された。優勝5回の内、4回が3月場所という記録を残した。化粧廻しの原画は日本画家・松林桂月(まつばやしけいげつ、1876~1962)による。
 このほか、大阪相撲にちなんだ錦絵や三月場所の写真、大阪出身力士の手形など約90点を展示いたします。

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