日本相撲協会

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抱え相撲の世界

展示期間 平成28年(2016)8月18日(木)~10月21日(金)

 江戸時代の身分制度は、士農工商とよくいわれています。しかし実際には僧侶・絵師・歌舞伎役者など、さまざまな人々が社会を構成していました。相撲を生業として生活していた力士たちも、身分の枠にとらわれない存在だったといえるでしょう。
 文政10年(1827)、江戸幕府は、大名家抱えの力士は武士、それ以外は浪人であるという見解を示しています。抱え以外の力士をすべて浪人とするのは強引かもしれませんが、農民や町人出身の若者も、力士になることにより武士・浪人となったのです。江戸時代後期、相撲を嗜好する大名は有力な力士を競って召し抱えます。人気と実力を兼ね備えた抱え相撲は、全力士の目標、憧れであり、大相撲の花形として活躍しました。
 本展では錦絵や番付、文献を中心に、江戸時代の大相撲を語る上で欠くことのできない抱え相撲の世界をご紹介いたします。

江戸大相撲生写之図屏風
1 江戸大相撲生写之図屏風
(右隻、豊麿画)
 両国橋を闊歩する天明8年(1788)頃の力士たちが描かれている。抱え相撲は、武士の象徴である二本差し、抱え以外は脇差のみであった。なおこの屏風は、享和~文化年間(1801~1818)の作品と推定されている。
姫路藩主・酒井忠学の書状
2 姫路藩主・酒井忠学の書状
 姫路藩主酒井ただのり忠学が、天保14年(1843)10月9日付で江戸定府の藩士・古市孝友に宛てた書状。江戸から姫路城に無事到着したことのほか、同年閏9月に行われた将軍徳川家慶の上覧相撲における相生・武蔵野・手柄山など、姫路藩抱え相撲の活躍が記されている。将軍の上覧相撲という晴れの舞台での活躍に大喜びする藩主の姿が伝わってくる書状である。
越ノ戸浜之助使用の化粧まわし
3 越ノ戸浜之助使用の化粧まわし
 大名家の抱え相撲は、印紋(しるしもん)と呼ばれる揃いの化粧まわしを締めた。越ノ戸は松江藩松平家の抱えで、印紋は「瓢箪つなぎ」である。文化~文政年間(1804~1830)に活躍、最高位は前頭5枚目。
4 稲妻雷五郎 勝川春英画
 松江藩松平家の抱えで、文政12年(1829)に免許を受けた第7代横綱。文政~天保年間(1818~1844)を代表する力士。引退後も藩の相撲頭取を務めた。
谷嵐市蔵
5 谷嵐市蔵 歌川豊国(三代)画
 中津藩奥平家の抱えで嘉永~安政年間(1848~1860)に活躍、最高位は前頭4枚目。印紋の「大童子格子(おおどうじこうし)」は、藩の輿丁(よちょう、かごかき)が着用する仕着せ(しきせ)の意匠でもある。観衆は化粧まわしをみれば、どこの藩が抱えているかを知ることができた。

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