日本相撲協会

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過去の展示

戦後70年「大相撲と戦争」

展示期間 平成27年(2015)10月20日(火)~ 12月24日(木)

 平成27年は戦後70年の節目の年です。戦争の影響は大相撲にも大きく及び、力士をはじめ多くの協会員が戦地に赴き、勤労奉仕をし、空襲で被害を受けました。戦後も開催時期や興行場所が定まらない時期がしばらく続きました。今日の大相撲は、戦争による苦難を乗り越えて存在していると改めて感じます。
 今回、戦後70年を機に、日中戦争・太平洋戦争下の大相撲の様子を展示するとともに、戊辰戦争、日清戦争、日露戦争などとの関わりもあわせて紹介いたします。
 大相撲から戦争をとらえることで、戦争の惨禍と平和の尊さについて考える機会になれば幸いです。

軍事教練
1 軍事教練
 昭和14年8月28日から30日にかけて、年寄佐渡ケ嶽(元阿久津川)の申し出により、東京に残っていた若手力士約100名が、稽古廻し姿で、靖国神社の相撲場の草むしりや地ならしといった勤労奉仕を行った。さらに、兵式教練、銃剣術の訓練なども実施。この勤労奉仕と軍事教練を「力士集団勤労鍛錬所」と称し、心身双方の鍛錬とした。
番付 昭和14年1月場所
2 番付 昭和14年1月場所(部分)
 日中戦争に伴い、応召、入営する力士が出るようになり、番付のしこ名の上に「応召」「入営」と冠されるようになった。
北日章旗に署名する双葉山
3 日章旗に署名する双葉山
 出征する兵士のために、日章旗に「武運長久」「尽忠報国」などと書いたり、署名をすることはよく行われていた。当時の幕内力士が、依頼されて署名をすることも盛んだった。
海軍時代の栃錦
4 海軍時代の栃錦
 栃錦清隆(1925~1990)は東京都江戸川区出身の44代横綱。新十両だった昭和19年5月場所後、海軍に応召される。横須賀の武山海兵団に入団して初期教育を受けたのち、静岡県新居町の浜名海兵団に配属となり、機銃員として戦闘機の迎撃にあたった。
 昭和20年11月場所で復帰し、多彩な技で技能賞の常連となる。横綱昇進後は堂々とした寄り身の相撲を見せた。
吉葉山潤之輔使用の化粧廻し
5 吉葉山潤之輔使用の化粧廻し
 吉葉山潤之輔(1920~1977)は、北海道石狩市出身の43代横綱。昭和17年5月場所、幕下筆頭で7勝1敗で優勝し、翌場所の十両昇進を決めていたが、場所後の巡業中に応召となり、日中戦争に従軍。行軍中に誤って薬を飲まされて危篤になったり、退却時の偵察で左太ももを銃弾が貫通して重傷を負うなどの生命の危機を乗り越えて、昭和21年6月に帰還。均整のとれた体格と美男ぶりで絶大な人気を博した。横綱昇進後はけがや病気が相次いだ。
 このほかに、飛行機や銀の献納、後楽園場所、東京大空襲などの写真を中心に、約80点の資料を展示いたします。

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