収蔵品紹介
化粧廻し
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| 19代横綱 横綱在位 1904~1914年(明治37~大正3) |
| 梅ケ谷(2代)と明治後期の大相撲を支え、角聖(かくせい)といわれた大横綱。化粧廻しは中央に5カラットのダイヤモンド、周囲に真珠やルビーを配したもの。第二次大戦の時、貴金属の供出で取り外され、現在はイミテーションが入れられている。 |
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| 19代横綱 横綱在位 1904~1914年(明治37~大正3) |
| 常陸山の出身地である茨城県水戸市ゆかりの大名家、水戸徳川家の「三つ葉葵」を、薄紫の羅紗(らしゃ)地に金糸で刺繍したもの。 |
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| 27代横綱 横綱在位 1918~1925年(大正7~14) |
| 左はず、右おっつけの押し相撲で強さを見せ、大正の大相撲を支えた。化粧廻しは、彫金家の海野美盛(うんのびせい、2代)による龍虎の銀板がついている。 |
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| 27代横綱 横綱在位 1918~1925年(大正7~14) |
| 日本画家松林桂月(けいげつ、1876~1963)による、松竹梅の図案が描かれている。 |
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| 33代横綱 横綱在位 1936~1939年(昭和11~14) |
| 小結で優勝し、関脇を飛び越えて大関に昇進するなど、スピード昇進で期待を集めた。化粧廻しは、富士山らしき山を背景に、六重の天守閣を持つ城を描いたもの。 |
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| 35代横綱 横綱在位 1938~1945年(昭和13~20) |
| 未だに破られていない69連勝のほか、全勝優勝8回など数々の記録を残した昭和を代表する力士。化粧廻しは、しこ名にちなんで、柏の双葉がデザインされている。 |
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| 36代横綱 横綱在位 1942~1953年(昭和17~28) |
| 序ノ口から入幕まで各段で優勝を重ねて昇進。戦後、アキレス腱の断絶を乗り越えて全勝優勝した。化粧廻しには、滝登りや春や秋に泳ぐ鯉が描かれている。 |
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| 39代横綱 横綱在位 1947~1949年(昭和22~24) |
| 双葉山と熱戦を見せて、長らく大関で活躍。戦後、横綱に昇進した。化粧廻しは、横綱は兜、太刀持ちと露払いは松と連山を描いている。 |
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| 41代横綱 横綱在位 1951~1959年(昭和26~34) |
| 長身からの威力ある突っ張りを武器とした。化粧廻しは、葛飾北斎画『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』、俵屋宗達画『風神雷神図屏風』を原画としている。 |
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| 42代横綱 横綱在位 1953~1958年(昭和28~33) |
| 堂々とした太鼓腹、右四つでの寄りが光った。化粧廻しは、1951年(昭和26)のヴェネチア国際映画祭での『羅生門』の金獅子賞を記念し、1956年(昭和31)に千代の山・鏡里・吉葉山・栃錦の四横綱へ贈られた。 |
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| 43代横綱 横綱在位 1954~1958年(昭和29~33) |
| 日中戦争の兵役を経て復帰し、大関で全勝優勝を飾って横綱に昇進。化粧廻しは千代の山・鏡里・吉葉山・栃錦の四横綱に贈られたもので、馬簾(ばれん)の色は土俵の上の屋形から下がる四房にちなむ。 |
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| 44代横綱 横綱在位 1955~1960年(昭和30~35) |
| 若乃花(初代)とともに「栃若時代」を築いて、昭和30年代前半の相撲人気を沸騰させた。化粧廻しは、当時を代表する映画会社、大映から贈られた。 |
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| 45代横綱 横綱在位 1958~1962年(昭和33~37) |
| 「土俵の鬼」の異名で人気があった。化粧廻しは、舞楽「太平楽」の衣装の帯喰(おびくい、腹部を飾るベルトのバックルのようなもの)である鬼、絵師伊藤若冲(じゃくちゅう、1716~1800)による「牡丹」を刺繍したもの。 |
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| 46代横綱 横綱在位 1959~1961年(昭和34~36) |
| 相手をはさみつけての寄りを得意とし、三月場所に強く「大阪太郎」といわれた。化粧廻しの原画は、日本画家松林桂月(けいげつ、1876~1963)。中央に霊龍、左右に波を配し、神龍昇天を意図したもので、水墨画が巧みに表現されている。 |
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| 47代横綱 横綱在位 1961~1969年(昭和36~44) |
| 昭和30年代から40年代にかけて、大鵬との「柏鵬(はくほう)時代」を築いた。化粧廻しは、僧・画家の仙厓(せんがい、1750~1837)による、出光美術館所蔵の作品を刺繍している。 |
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| 48代横綱 横綱在位 1961~1971年(昭和36~46) |
| 優勝32回、「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語が残る昭和の大横綱。化粧廻しは、北海道開発庁長官などを務めた大野伴睦(ばんぼく、1890~1964)の書「心技体」。大鵬が好んで使用した。 |
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| 49代横綱 横綱在位 1964~1966年(昭和39~41) |
| 前さばきのうまさ、出し投げや切り返しなどさまざまな技を披露した。化粧廻しは、波に龍をデザインしている。 |
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| 50代横綱 横綱在位 1965~1968年(昭和40~43) |
| 突っ張り、右四つからの寄り、投げを得意とした。化粧廻しは、日本画家の前田青邨(せいそん、1885~1977)の風神雷神が原画である。 |
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| 51代横綱 横綱在位 1970~1971年(昭和45~46) |
| 右四つの型から安定した相撲を見せたが、現役中に没した。化粧廻しは、心と体が一つであるという「心身一如(しんしんいちにょ)」を改めた、「心力一如」と記している。 |
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| 52代横綱 横綱在位 1970~1974年(昭和45~49) |
| 玉の海と同時に横綱昇進。上手投げ、外掛けなどを得意とした。化粧廻しは、中央は波間に日の出を描き、左右は鶴である。 |
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| 53代横綱 横綱在位 1973~1974年(昭和48~49) |
| 頭からの当たり、出足から「猛牛」といわれた。化粧廻しは、首相をつとめた石破(いしば)茂氏の父で、当時鳥取県知事を務めていた石破二朗(1908~1981)による書「努力誠」。 |
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| 55代横綱 横綱在位 1974~1985年(昭和49~60) |
| 21歳2カ月での横綱昇進は今も破られていない記録で、昭和を代表する横綱。化粧廻しは、日本画家大山忠作(1922~2009)による龍と波が原画である。 |
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| 56代横綱 横綱在位 1978~1983年(昭和53~58) |
| 大関まで「若三杉」を名乗って、横綱昇進時に師匠のしこ名を継いだ。化粧廻しは、名古屋城の天守閣と金のしゃちほこを描いている。 |
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| 57代横綱 横綱在位 1979~1980年(昭和54~55) |
| 速攻の寄りや出し投げを見せた。化粧廻しは、市川国一(くにいち、1909~1987、元出羽ノ花、武蔵川理事長、相撲博物館館長)による書「一簣功(いっきのこう、仕事を完成させる直前の最後の努力のこと)」を刺繍している。 |
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| 58代横綱 横綱在位 1981~1991年(昭和56~平成3) |
| 相撲界初の国民栄誉賞受賞。一気に出る速攻相撲や投げを見せた。愛称は「ウルフ」。化粧廻しは1988年(昭和63)に達成した53連勝を記念したもの。 |
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| 59代横綱 横綱在位 1983~1986年(昭和58~61) |
| 糖尿病を乗り越えて横綱に昇進。千代の富士をライバルとした。化粧廻しは、出身地青森県の景勝地、十和田湖・岩木山の春秋冬を描いている。 |
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| 60代横綱 横綱在位 1986~1987年(昭和61~62) |
| 横綱昇進に際して、立浪部屋出身の横綱双葉山と羽黒山をあわせたしこ名を名乗った。化粧廻しは、出身地三重県の伊勢神宮と二見浦(ふたみがうら)の夫婦岩(めおといわ)が描かれている。 |
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| 61代横綱 横綱在位 1987~1992年(昭和62~平成4) |
| 立ち合い当たっての突き押しは強烈。稽古熱心でも知られた。化粧廻しは、和田光正(みつまさ、1940~2024)が、金箔などを用いる金彩友禅(きんさいゆうぜん)で仕立てている。 |
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| 62代横綱 横綱在位 1987~1991年(昭和62~平成3) |
| 体重200kgを超える大きな体で、右四つからの寄りや上手投げを得意とした。化粧廻しは、北海道帯広市出身の書家桑原翠邦(1906~1995)による「天地人」。 |
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| 63代横綱 横綱在位 1990~1992年(平成2~4) |
| 「津軽なまこ」といわれた柔軟な体と天性の相撲勘のよさで横綱に昇進した。化粧廻しは、出身地青森県の岩木山、名産品のホタテ、りんごが配されている。 |
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| 64代横綱 横綱在位 1993~2001年(平成5~13) |
| 史上初の外国出身横綱。長い腕を生かした突っ張りは破壊力があった。化粧廻しは、初夢によいとされる「一富士二鷹三茄子」。 |
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| 66代横綱 横綱在位 1998~2000年(平成10~12) |
| 体は小さかったが、左右からのおっつけでうまさがあった。化粧廻しは、日本画家の川崎春彦(1929~2018)による「富士涛晴(とうせい)」が原画。 |







































