日本相撲協会

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過去の展示

東海四県と大相撲

展示期間 平成27年(2015)6月23日(火)~8月21日(金)

 現在大相撲の本場所は年6回行われています。最後に加わったのが七月場所で、昭和33年(1958)から名古屋が開催地となっています。50年以上を経て、七月場所は夏の名古屋にすっかり定着しました。もともと名古屋は江戸(東京)、大阪、京都に次いで相撲の興行が盛んに行われ、特に三河は地域の相撲が盛んな土地として知られていました。
 今回、七月場所の開催にあわせ、七月場所の草創から現在までや優勝力士を紹介するとともに、51代横綱玉の海正洋(愛知県出身)、57代横綱三重ノ海剛司(三重県出身)をはじめ東海四県出身の幕内力士、大正時代の名古屋国技館、関東大震災の影響で大正13年(1924)1月に名古屋に場所を移して行われた東京相撲の本場所などから、東海地方と大相撲の関わりを探ります。

金山体育館
1 金山体育館
 昭和38年(1963)7月撮影。昭和25年、愛知国体にあわせて開館。昭和26年から32年までは大相撲の準本場所、昭和33年からは昇格した本場所が39年まで行われた。冷房設備がなかったため、「南洋場所」といわれた。現在、跡地には名古屋市民会館(日本特殊陶業市民会館)がある。
金山体育館の支度部屋に置かれた氷を囲む力士たち
2 金山体育館の支度部屋に置かれた氷を囲む力士たち
 暑さ対策のため、通路や支度部屋に氷柱が置かれ、中入りの時間には酸素の放出を行った。力士も観客も暑さに耐えながらの本場所だった。
愛知県体育館
3 愛知県体育館
 平成26年7月13日撮影。昭和39年に完成し、昭和40年から本場所が行われている。当時としては最新鋭の設備で、冷房も完備しており酷暑から解放された。名古屋城の敷地(名城公園)にあり、近くに天守閣がそびえている。
名古屋国技館開館記念絵はがき
4 名古屋国技館開館記念絵はがき
 明治42年(1909)に旧両国国技館が開館すると、横浜、京都、浅草、富山、熊本など、全国各地に国技館が誕生。「国技館ブーム」が到来した。名古屋国技館もその一つで、大正3年、名古屋市中区外堀町(現在の丸の内3丁目)に完成。設計は旧両国国技館と同じく辰野金吾・葛西萬司。木造一部鉄骨4階建。収容人員約6,500人。相撲のほかに、映画会、演説会、サーカスなどが開催されたが、大正12年(1923)春ごろに取り壊された。
三重ノ海剛司使用の化粧廻し
5 三重ノ海剛司使用の化粧廻し
 昭和23年(1948)、三重県松阪市に生まれる。病気や大関陥落の苦労を乗り越えて、57代横綱に昇進。速攻の寄りを得意とした。優勝3回。引退後は武蔵川部屋を創設し、武蔵丸、出島、武双山、雅山らを育てたほか、相撲協会理事長を務めた。現在、相撲博物館館長。
 市川国一(元前頭出羽ノ花・武蔵川理事長)による「一簣功」(いっきのこう 中国の歴史書「書経」に出てくる言葉。完成前の努力、物事を成し遂げるためのひとつひとつの大切さの意)が配されている。
 このほかに51代横綱玉の海正洋使用の化粧廻し、東海四県出身の幕内力士の錦絵や写真、第2回伊勢神宮奉納大相撲のポスターなど、126点を展示いたします。

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